おのぽんの生い立ち

サーブをするおのぽん

 徒然なるままに卓球に関する生い立ちを書いていこうかと思います。
このブログを読んでくださってる方の多くが認知しているかと思っていますが、僕卓球してます。

 中高6年間横浜で卓球をしていましたが、8年ほどブランクがあり、27になる年に再燃しました。

横浜でがむしゃらに練習していた中学時代

 中学の頃に始めた卓球ですが、憧れの先輩に追いつくためにと、同じクラブに通ったり、同期や後輩には少なくとも負けなしになれるようにと毎日卓球漬けの日々を送っていました。

 そんなこんなで3年間頑張った結果、

  • 区大会優勝
  • 市大会12位

 そして、僕の代では僕だけが神奈川県大会に出場することができ、それはそれは華々しいラストを飾りました。(県大会では緊張しすぎて何もできないで終わるというトラウマ的な事故があったなんて言えない)

高校卓球部に絶望した4月

 その後、高校に進学。当然卓球部に入るものの、蓋を開けてみたら部員は高校3年生が2人と僕1人。しかも練習は火木の週2のみ。
その2人は4月の「負けたら引退」という試合で市大会初戦、2回戦であっさりと負けてしまい、5月から晴れて部員が僕1人に。

 そう、僕は見事に貧弱校に入学してしまったのでした(卓球部あることだけ確認して、家から近い高校選んだバツかな。ぴえん。)

とにかく練習日を確保して、一緒に練習する仲間を作りたかった高校1年生

 「あれ、僕1人じゃん。サーブ練習しかできない、やばくね?顧問の人一応軽くは打てるけど・・・部活始まって終わりの方しか来ないしやばくね?てか一年生で部長じゃね?どうなってんの?とりあえず練習できないのやばくね?(当時から語彙貧)」
 そう思った僕は、すぐさま中学時代お世話になっていて別の高校に入学していた先輩に連絡し、毎週土曜日にその高校にお邪魔することにしました。
 そして、月曜日はその先輩が立ち上げてくれた地域クラブで練習。
なんとか週4の練習日を確保しました。

 そんな1年間を卓球部員として、部長として、周りのバドミントン部やバレー部、バスケットボール部の皆様から白い目で見られながら1人で活動を続けました。

優秀な後輩たちが入ってきて、活動範囲も大きく広がっていった2年生

 そして高校2年生。僕の中学の時の後輩で、その代で一番強かった子や、別の区で神奈川県大会まで駒を進めた子、初心者だけど卓球始めたいという子達の計5人もの後輩が入部してくれました。
「団体戦出れるやん!」もう感動ものでした。
今まで1台しか出さないでこじんまりとサーブ練習をしていた部活が、突然3台卓球台を出して、基礎打ちから課題連、多球練習までを行う本格的な部活動が始まりました。指導者はやはりいませんでしたが、一緒に汗を流して練習できる仲間ができたことが本当に嬉しかったです。

 仲間ができると外部の知り合いも増え始めます。(知り合いの知り合い的な)
試合に出ては、片っ端から知り合いの知り合いを捕まえて、他校の顧問の先生に練習試合を行ってもらえるようお願いし続ける日々を送りました。
部員が増えど、練習機会は相変わらず火木の週2回だったので、とにかく練習機会、実践機会を増やすことに専念しました。
今思えばだいぶ飛び込み営業的なことやってたな。。笑

引退がかかった団体戦シングルスで、全勝をあげることのできた3年生

 そんなこんなで高校3年生。僕は引退することとなります。
新たに入部した1年生は2人。うち1人は、僕の中学時代の強かった後輩でした。

 最後の団体戦。神奈川県ベスト16。
おそらく僕がいた高校史上一番勝ち進めた記録でした。
2年前まで無名校で団体戦すら出れなかった高校が、突然県で16に入る強豪・・・とまでは言えませんが、中堅校に成り代わった瞬間でした。
まさにシンデレラストーリー←
(その後も、ベスト16を何度か継続し続けたらしいです。強い子が継続的に入ってきてくれたみたいですね)

 そして引退。大学でも卓球を続けようか悩みましたが、

  • 卓球部はあったが、僕の通うキャンパスではなかった(毎回バスに乗らないといけない状況)
  • 部活動は週4で活動していて魅力的だったけど、バイトもしたかった
  • 女の子にモテたくて、バンドを始めたかった
  • 女の子にモテたかった

というクソみたいな理由で卓球を辞めてました。
結果モテなかったんですよ。結局モテるのはイケメンなんですよ。なんやねんあいつら。
あ、バンド自体は楽しかったです。

卓球復帰のきっかけとなった高校3年生からの8年後

 そして月日は流れ2016年。
テレビをつけると世界卓球をやっていて、水谷選手が頑張っていました。
もちろん中高の時から水谷選手の存在は知っていて、同い年の左利きの選手ということもあり、ずっと印象に残り続けていました。
 そんな選手が今もなお世界のトップ選手と肩を並べて頑張っている姿を見て、僕は胸が熱くなり、同時に「また卓球をしたい」という思いが込み上げてきました。

 27歳秋。
水谷隼ZLCモデルを手に卓球を復帰しました。(今はビスカリア使ってるけどね)

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